今日外に出て、平日昼間の街をうろついた。
車椅子のおばあちゃんを乗せて外に出るおじいちゃん。太った女子小学生。可愛いスーパーの店員。バッセンで「キモいし、打てねーし、死ねや」と思いながら対応してくれたねーちゃん。イチャつくカップル。俺と同じように暇をもてあましてそうな男。仕事帰りで家路を急ぐサラリーマン。彼らは何に不満を感じ何に喜びを感じ生きているのか?
そして自分はどうだろうか?
不満は、彼女が出来ないことへの不満、仕事の不満、人生設計の悩み、健康への不安、暇なことへの不満、孤独の不安、目標が無いことの恐怖、などいろいろある。
喜びは、風俗いったときの喜び、友人とのコミュニケーションで得られる喜び、すばらしい作品に触れたときの喜び、うまいものを食ったときの喜び。それくらいだろうか。
喜びなどここ5年くらい何も変わらない。ただただ不安と虚しさが心に占める割合が高まる。不安、虚しさに怯えつつ、一時的に晴らす。喜びはその道具。そんな毎日。新しい鉄もだんだん錆び付くように自分の心も錆び付いている。錆び付いてしまった自分の心は殻を作り、新しい感動をもたらさない。心は年老い、何も残らない毎日の中を日々生き続ける。自由なはずなのに牢獄にいるかのよう。
昔「深夜特急」を読んで旅に出ようと思った。でも、旅に出ても少しの経験が得られるだけで、おそらく何も感動しないことを心の奥底で感じていることが怖い。小学生のときのように「どんな景色があるのだろう」などとワクワクする気持ちが無いことが怖い。心が牢獄にいるんだから、つまらないはずだ。
いつからこんな廃棄物に変わったのだろう。
「生きてるけど死んでるんだな」そう思った一日でした。
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